【メモ】ピラミッドの謎
石棺も死体を入れていたものではない
お前らが知っている大ピラミッドの知識は全て
20世紀頃になってよそからやってきた白人らが
大ピラミッド以外のただのピラミッド(王家の墓)をもとに
勝手に唱えた見当外れの仮設にすぎない。
実際にはエジプトやアラビアの数々の歴史書や
神話などに、大ピラミッドが何のための施設か、
いつ頃作られたのか、建造したのは誰かなど
いろいろ書いてある。
現代のピラミッグ学などはそりらを全て無視して成り立っている。
そもそも三大ピラミッドはクフ王の建造物ではなく
スフィンクスともども第一エジプト王朝より
ずっと昔からあったものだからな
実際行けばわかるが、3大ピラミッドというが
正面から見ると2つしか見えない
世界最古の書物・ギルガメッシュ叙事詩にも
三大ピラミッドのうち2つとスフィンクスが出てくる。
これは少なくともこの頃から存在していた事を示している。
引用元: ・【エジプト】世界最大のピラミッド 186年ぶりに未知の空間を確認 [ガムテ★]
大洪水以前の文明のものだと歴史書に書かれている。
例えば第3王朝から第5王朝の間に作られたと考えられる
古代エジプト最古の聖典「ピラミッド・テキスト」によると
「かつて大洪水で全世界が滅んだ後、
原初の水ヌンより最初に現れた陸地に
太陽神アトゥムがはじめて降り立った。
そこには巨大な砂の山があり、
その頂上にベンベン石という四角錐の聖なる石があった」
このベンベン石が大ピラミッドだ。
現在ではピラミッドの原型となった
キャップストーンのようなものだと考えられているが
そうではない。
(後世でいうフェニックスの事)の姿となり、
この巨大な四角錐の上に降り立った。
この四角錐をベヌウ神殿と名づけ
辺り一帯をヘリオポリス(太陽の都)と名づけた。
しかし時代が下った後にベンベン石は失われて行方不明になった」ともある。
また別の文書には「世界の最初にはヌンと呼ばれる混沌の海だけがあった。
その混沌の海の中からある時原初の丘が浮上し、
そこに太陽神フゥムが生まれた。
この世に何もなかったので、アトゥムは自慰行為によって
大気の神シュウと湿気の神テフネトを作り出し、
ついで天空の女神ヌトと大地の神ゲブを生み、
精液が地上に落ちてベンベン石になった」とある。
大洪水が引いて最初に陸地が現れた時
そこにはすでに大ピラミッドがあったのだ。
大ピラミッドはフェニックスを祀る神殿だったともある。
エジプト最古の王朝である第一王朝はこの大洪水以降に生まれたものだ。
そこから続く現存する総てのピラミッドは、
元々このフェニックス神殿を模倣したものた。
なおここでいうヘリオポリスとは現在のヘリオポリスではなく、
ギーザの事だと考えられる。
非常に簡素で粗末な作りの小さなピラミッドが大量にある。
クフ王は4000人の自由市民を賃金と酒で雇って自分の墓を作らせた。
彼が作ったものは第一ピラミッドの前に並ぶ
3基のごく小さなピラミッドだとも、
第二ピラミッドの横にある小ピラミッドだとも言わている。
更に彼は自分たちが生まれるよりはるか以前からあった
大ピラミッドの外壁修理をしたが、
大ピラミッドを自らのものとして人々から恨まれるようになったとも記録がある。
長らく西洋の学会では謎であり、議論が交わされてきた。
その謎を解くべく、1873年に英国陸軍大佐で貴族の、
名誉欲の権化のようなハワード・ヴァイスという山師が
とんでもない暴挙に出た。
人類の遺産とも言える大ピラミッドの側面を
ダイナマイトで爆破したのだ。
そして大量にいた作業員を1人除いて全員クビにして、
2人だけで中に入った。
ピラミッドの内部通路は短い。
せいぜい5分もあれば最深部に到達する。
ところがヴァイスはその狭い内部にこもって
何をやっているのか何日も全く不明の作業を続けた。
数日後に「このピラミッドはクフ王が作ったものだ!」という
かねてからの彼の自説を証明する”サイン”を発見した。
これによって彼は長らく学会で不明とされていた
大ピラミッドの建設者を突き止め、世界的な名声を得た。
普通のピラミッドには必ず
王の名前を書いたカルトゥーシュが刻印されている。
ところが大ピラミッドの中には
なぜか一切カルトゥーシュの彫刻が無かった。
ただひとつ、
最も奥まった部屋「重力拡散の間」の
人が入れない空間である狭い石版の間という、
通常なら人目につかないようなおかしな場所に、
赤い顔料で書かれた、異様にゆがんだ「クフ」というサインがあった。
これが大ピラミツド=クフ王建造説を立証する2大証拠の1つだ。
ヴァイスはこれによってピラミッド=王家の墓説が証明されたと主張した。
ところがこのサインは当時の学説では「クフ」という文字に読めたが
今の研究ではスペルが異なっている事が判明。
ついでに1985年にアメリカの研究チームが
顔料を採取して年代測定にかけたところ、
ヴァイスの時代である150年前に描かれたものと判明した。
要するにこのサインはヴァイスが自分で書いた
お粗末な代物だったというわけだ。
この件は既存の学説に及ぼす影響があまりにも強いために
いまだにアカデミズムはこの事について沈黙を続けている。
例えば1986年にはフランスが大ビラミッドの大々的な調査を行い、
マイクロ・ブラビメーター(精密重力計)という最先端の機器で
大ピラミッドを調査したところ、全体の40%が空洞であるというデータを得ている。
ここまでは良かった。
だが調子に乗って、許可も得ていないのに
勝手にその未知の空間に到達するため、
王妃の間に続く水平通路の壁にドリルで穴を開け始めた。
すると不思議な事に壁の無効から大量の砂が出てきた。
それも周辺の砂漠にある砂とは全然別物の鳴き砂だ。
ともあれ、この件でフランス調査隊は即効調査を打ち切られ
エジプトから追い払われてしまった。
フランス調査隊が穴を空けて到達しようとしていた未知の空間を
電磁波レーダーによって調査した。
するとやはり王妃の間の隣には
未知の水平通路がある事をつきとめた。
それは30メートルぐらい北へ伸びたところで
直角に曲がっているらしい事までわかった。
1993年にエジプトのカイロ郊外で突然女学生たちが次々と失神。
780人もの人間が突如昏睡状態に陥るという事件が起こった。
カイロ北西のダマンフールでは死者まで出た。
この時期に米軍はエジプト政府と密約を結び、
十分な見返りを与える事の報酬として
秘密裏に強力なマイクロウェーブによるピラミッドの内部調査を行った。
そのマイクロウェーブがピラミッドを通り越し
カイロの市街へ拡散照射されてしまったのが
この騒動の原因だと言われている。
そしてこれによって米軍は、一般アカデミズムが到達する事のできない
ピラミッド内部の本当の構造を入手した。
この断面図は下降通路、上昇通路、地下の間、、王妃の間、大回廊、玄室、
重力拡散の間が、きれいに一直線上に並んでいるから描けるものだ。
が、よくよく誤解されているが、これは別にピラミッドを
中心線から綺麗に2分割した断面図ではない。
中心線から東に7.3メートルもずれた断面図なのだ。
これは何を意味するのか?
要するに中心線から西に7.3メートルずらした場所にも
まったく同じ構造の空間がある事を意味している。
ここまでは學舎らによって予想されていた。
だが米軍はさらに先の情報を掴み、
クフ王のピラミッドには玄室が3つある事を突き止めた。
これについて詳しく書くと長くなるんで省く。
そもそもピラミッドの内部構造は全て意味がある。
大ピラミッドの正体は大洪水以前にエノクが建設した
天地創造の秘密と宇宙の姿を記したという
錬金術で言うところの「賢者の石」「エメラルド・タブレット」だからだ。
それは文字によって叡智が記されているわけではない。
格部分の数値を詳しく解析する事でその示す意味がわかる構造になっているのだ。
あの断面図はズレてるものだったのか
1858年にオーギュスト・マリエットが発見した「インベントリー碑文」にはっきりと
「クフ王が築いたのは王妃のための小ピラミッドだけである」と書かれていたという。
現在のインベントリー碑文は神殿に奉納された目録が書いてあるだけだ。
歴史家ヘロドトスは「クフ王は50年間統治し、
10万人の奴隷を駆使して20年かけてピラミッドを築いた」という伝聞を
調べもせずそのまま歴史書に書いた。
だが今の研究では4000人の自由市民が農閑期に報酬をもらい、
日中の数時間、大ピラミッドの前にある3基の小ピラミッドの
外壁補修の軽作業を行っていただけだという事が判明している。
そもそもクフ王はあの巨大なピラミッドを建設できるほどの大した権力者ではない。
在位期間は23年のみ。
現存する彫像は7センチのものがたった1つだけである。
他の王たちは巨大な石像をいくつも造らせているのにだ。
ピラミッドには王の名前を書いたカルトゥーシュを刻印するのが通例なのに、
大ピラミッドの中には一切カルトゥーシュの彫刻は無い。
>>288
「インベントリー碑文」を検索したら「神々の指紋」出てきたわ
雑誌ムー子供のころ楽しかったな
1790年にフランス国民議会が地球の大きさを基準にして作り出したものである。
パリを通過する北極から赤道までの子午線弧長の
1000万分の1を1mと定めたのだ。
一方でエジプト・ダハシュールには
スネフェル王(紀元前2613年~紀元前2589年)のピラミッドのものとされる、
エジプト最古のピラミディオン(キャップ・ストーン)が置かれている。
この高さが精確に1mぴったりだ。
ピラミディオンの底辺の一片の長さは1.57mである。
つまり底辺2辺の和を高さで割ると円周率πになり、
4面の面積の和を底辺の面積で割ると
黄金数φになるよう設計して作られているのだ。
なお、更に当時のエジプトではキュビットという単位を使っていた。
当時の1キュビットは現在でいう0.5236mである。
ところで、この0.5236mという数値がどこから来ているかというと、
半径1mピッタリの円の円周(6.2832m)を
12等分した弧の長さが0.5236mなのだ。
要は最低でもこの時代からエジプト人はメートル法を知っていたのだ。
ひいては地球の直径をエラストネスより遥かに精確に計測し、
それを元に度量衡を作ったものと思われる。
12レスの中でこれが一番面白いし勉強になりました。
ありがとうm(_ _)m
詳しく書くとクソ長くなるから簡単に書くが
3大ピラミッドはそれぞれ地球、金星、水星という惑星の
大きさや詳しい情報について、文字によらず記したものだからな
だから比率がそれぞれ地球、金星、水星と同じに作られている。
屈折ピラミッドはなぜか玄室が2つあるが
こちらは土星の情報を記したもので、
傾斜角度の線をそれぞれ伸ばすと2つのピラミッドが出来上がり
それぞれが土星の大きさとリングの大きさに比例している。
その他の古代のピラミッドも火星や木星、火星と木星の間にあった星の
情報を文字を使わず記したものだ。
メキシコのピラミッドもグーグルマップで見ればわかるが
近くに別のピラミッドがある。
その2つのピラミッドを結んだ延長線上にまた別のピラミッドがある。
その延長線上にもまた別のビラミッドが……と
続々ピラミッドが直線上に連なっている構造なのがわかる。
面白いのはこれらのピラミッド間の距離の比率が、
そのまま太陽系の太陽・水星・金星・地球・火星・木星・土星…
といった惑星間の距離の比率と一致するように配置されている事だ。
また、メキシコの大ピラミッドの内部を音波で探査したところ、
中に更に2つのビラミッドがある事がわかった。
これは現代の地質学より更に先の情報──
地球内部にさらに2つの天体がある事を示したものだ。
もっと続けてください 読んでますから
同じくw
浪漫だね
海底にプレートがあってそれが動いていた事まで知っていた。
「大地は7つの皮を貼り集めてできたボールの形をしている」とまで言っている。
エジプト人はどこから知識を得ていたかのか。
プラトンの「クリティアス」で、
古代エジプト神官に太古の歴史について訊ねるシーンにヒントが出てくる。
神官によると今の文明はおそろしく幼く、まだまだ始まったばかりのものだという。
神官はかつて地上に幾つも文明が興ったが、そのいずれもが
何度も何度も大地震と大洪水に呑まれて消えて、今の時代がある事を語っている。
古代エジプトの知識はすでに消滅した、先にあった文明から継承したものだという事だ。
先の大洪水で、ギリシアの辺りに栄えていた文明も、
はるか西に本島があり、ヨーロッパやアフリカの各地に大きな領土を持っていた
アトランティスという国も、同時に水に覆われて滅亡したという。
現在の科学知識で判断する限り、これは巨大隕石の衝突による大津波が原因だと思われる。
この「クリティアス」は、サイスのエジプトの神官→ギリシア人ソロン→曽祖父ドロピデス→
祖父クリティアス→プラトンの曽祖父クリティアス→紀元前427年に生まれたプラトン…と、
伝聞につぐ伝聞でできあがっており、最後の大洪水と滅亡があったのは、
エジプト神官に話を聞いた時代より9000年前の事となっている。
そうしてみると、完全に現代文明とは異なり、凌ぐ面をも備えた古代巨石文明があったと考えるしか無い
プマプンクやオルメカ、謎の巨大方形一枚岩トリリトン
精緻で巨大でどうやって切り出したか、運んだか、加工したか謎だ
巨石を自由に切り出し加工し運んで組み上げた文明は存在していた。
大ピラミッドも衛星から見ると四角錐じゃなく正中線が僅かに角度が付いている八角錐なんだよね
現代人が知らない、または正しく伝えられてこなかっただけで、高度な古代文明は間違いなく在ったし
大ピラミッド始め、古代巨石文明の遺物として世界各地に痕跡が残っている
あと、岩山をくり抜く形で作られた寺院とか地下居住空間も不思議だし
砂岩や石灰岩や花崗岩ですら自由に掘削し、またはコンクリートやモルタルみたいに自由に型通りに成型する何らかのオーバーテクノロジーがあったのかと
耐久年数はコンクリートやモルタルの比じゃ無い永続性を備えてるし
土木技術者としてはローマンコンクリートに対する憧れとロマンは半端ないw
そだねロマンある
しかし俺は個人的には巨大な3Dプリンターのようなもので作ったと思うな。あるいは鉱物を育てたか
ヴァイスによるクフ王建設説が定着する前に書かれた、さまざまな史書に書かれている。
古代アラビアの伝承では、大ピラミッドを建設した人物はイドリス。
旧約聖書の『創世記』に登場する、エノクと呼ばれる聖賢王の別名だ。
三大ピラミッドはそもそも古代エジプト王朝時代に築かれた
ピラミッド群のような王の墓ではない。
それより遥か以前にエノクによって築かれた”賢者の石”であるという事は、
大昔の歴史学者たちにとってはただの”常識”だった。
9世紀後半の歴史家アブ・バルキはこう述べている。
「大洪水の直前、多くの賢人は天変地異を予言した。
彼らはそれまでに築かれたた文明の叡智が失われる事を憂慮し、
エジプトの大地に石造りの塔を建造した」
「大洪水以前のエジプト王サウリド(エノクの事)は、
大洪水が始まる300年前に、大地が捻じ曲がる夢を見、
巨大なピラミッドを2基建設した。
ピラミッドには数学や天文学をはじめとする科学の叡智が詰められた」
この他にもアラブ人歴史家ワトワティ、マクリーミ、
ソラール、アルディミスギ、アル・マクリージーなど、
みな大ピラミッドを建設したのはエノクだと著書に書き記している。
14世紀の歴史家にして旅行家であり、
エジプトから中国までやってきたイブン・バトゥータも『旅行記』に記している。
「エノクが大ピラミッドを建設した理由は、
大洪水から貴重な宝物と、”知識の書”を守るためだった」
4世紀後半にアラブ人・アムミアーヌスは記している。
「大ピラミッドの地下回廊の壁には、古代人が刻んだ碑文がある。
そこには大洪水で失われた古代の叡智が記されている」
「鉄製品や錆びることの無い武器、曲げることのできる割れないガラス、
不思議な呪文」などなどを納めたと伝えられていた。
そこで9世紀にアッバース朝のカリフである
アル・マムーンが大ピラミッドに侵入し、内部を調査した。
ところがそこには伝説に反して何もなかった。
エノクが隠したという宝物も、”知識の書”も、
古代人が築いたという碑文も一切なかった。
>鉄製品や錆びることの無い武器、曲げることのできる割れないガラス
あー思い出した神々の指紋で見たくだり
ロマンがあってよろしい
いったい何者だったのか?
旧約聖書『創世記』には2人登場する。
1人は弟アベルを殺した罪で放逐されたカインの子で、エノク市を建設した。
1人はヤレドの子で、65歳で息子メトシェラをもうけ、
365年生きたあと、
「エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」とある。
エノクは『エノク書』によると生きたまま天界に引き上げられ、
そこで天界の知識を授けられて地上の人々に伝えている。
やがて彼は天使メタトロンに変容させられて天に昇った。
彼の築いた都市の人々も展開に引き上げられたという。
エノクの英語読みはイーノックであり、『エノク書』は
それを下敷きにした『エルシャダイ』というゲームが作られている。
人類に文化を伝えたり、人間の女たちと交配して子供を作らせたり
預言者エノクが宇宙船に乗って天界に行ったり、
その中の推奨や宝石のように発光するコンピュータルームを見る描写まである。
エノクの住む町は「創世記」にもあるように
神によって一夜にして天に引き上げられ、空飛ぶ街になったという。
この空飛ぶ都市は新約聖書の巻末に収録された『ヨハネの黙示録』の最終章で
再び登場する。
冥府を廃棄処分し、全人類を復活させた後に最後の審判が行われ、
その後に地球も太陽も消滅し、その後に天から
「キリストの花嫁」「聖なるエルサレム」と形容される
巨大な建造物が降りてきて、選ばれた民がそこに移り住むという。
フリーメーソンであるともされる
アイルランドのジョナサン・スウィフト神父は、
ユダヤ教やキリスト教の様々な聖典を読んでいた。
しかしヴァチカンに認められているものは聖書に収録された「正典」のみであり、
収録されざる「外典」「偽典」について語る事はタブーとされていた。
しかし彼は外典にこそ隠された重要な知識があるとして、
エノク書を自分が創作した物語という形で世に出した。
「ガリヴァー旅行記」である。
「ガリヴァー旅行記」において空飛ぶ都市「ラピュタ」を登場させた。
ラピュタとは売春婦をさす。
これは様々な男の間をフラフラ行きかうふしだらな女の事だ。
なぜこのような名前をつけたのか。
ヨハネの黙示録では空飛ぶ都市の名前を「キリストの花嫁」と呼んでいる。
それをもじって、この世で最も高貴な女性の反対の存在である
この世で最も卑しい女の名前をつけたのだ。
ラピュタは地上の人類には及びもつかないほどの
超科学の発展した都市という設定である。
これは天界かに伝えられた科学技術を継承しているからだ。
ラピュタを支配するラピュタ王はエノクがモデルだ。
火星を回るふたつの衛星についての記述がある。
「彼らは火星の周りを回転している2個の小さな衛星を発見している。
内側の衛星は、火星の中心から火星の直径の3倍の距離にあり、
外側の衛星は5倍の距離にある。
前者が1回転するのに要する時間は10時間、後者は21時間半である」
火星の衛星フォボスとダイモスが発見されたのは、
スウィフトが「ガリヴァー旅行記」を書いてから150年も経ってからの事である。
しかも天文学者のアサフ・ホールが1877年に屈折望遠鏡で
火星の衛星を発見したとき、二つの衛星は
スウィフトが小説の中で述べたとおりの軌道を描いてた。
これにしても火星の衛星の情報がスウィフトのオリジナル創作によるものではなく、
元ネタは大洪水以前に存在した古代文明の知識を記した聖書外典であるからだ。
エジプトではトキの頭を持ち、あるいは翼を持った姿として描かれ、
知識の神トートと呼ばれた。
トートは後にギリシア神話のヘルメス、
ローマ神話のマーキュリーと同一視され、
『三重に偉大なる者』(ヘルメス・トリスメギストス)と呼ばれ、
錬金術の始祖とされた。
間違われがちだが錬金術の目的とは
鉛から金を精錬するといった世俗的な事ではない。
鉛を金に換え、永遠の生命を齎すと言われる
究極の秘宝、”賢者の石”を手に入れる事だ。
錬金術師たちは賢者の石を
“錬金薬(エリクシール)”と呼んで追い求めた。
ヘルメス・トリスメギストス自らが著したという『ヘルメス文書』である。
この文書群が中世における西洋オカルティズムの源流となった。
その中に”賢者の石”の正体が記されている。
それは”隠された沈黙”であると記されている。
知識の神トートは自らの最大の叡智をエメラルド・タブレットに刻み、
後の賢者たちのために、
それを身に抱いたままミイラとなって埋葬されたという。
ところが、そのトート(エノク)が築いたという
大ピラミッドの石室の内部は空だった。
では、エメラルド・タブレットはどこに消えたのか?
賢者の石とはいったい何であったのか?
答えは簡単だ。
大ピラミッドそれ自体が、大洪水以前の数学や天文学を秘蔵したという
“賢者の石”そのものであり、エメラルド・タブレットなのだ。
ただの四角錐の建造物にしか見えない。
しかし外部構造や内部構造の角度や大きさなどの数値などを
計算してつき合わせた者にのみ、”隠された沈黙”である
“叡智”が明らかになるよう設計されている。
クフ王のピラミッドとは正しくは地球ピラミッドであり、
様々な部分の長さや対比が地球の縮尺になっている。
2番目に大きいのがカフラー王のピラミッドと呼ばれるピラミッドだが、
これは金星の知識を記録したもので、地球ピラミッドとの面積比や体積比が
地球と金星の直径やら体積比に等しい。
一番小さいメンカウラーのピラミッドは水星の数値を記したもの。
ついでに三大ピラミットとナイル川は
真上から見るとオリオン座と天の川の縮尺になっている。
錬金術師らは永遠の生命を手に入れるための手段である
“賢者の石”を一生かけて探し求めたが、ついに得られなかった。
彼らが崇拝する錬金術の始祖トリスメギストスは
“カドゥケウスの杖”を手にした姿で描かれる。
実はどこを探す必要もなく、最初からそこに
永遠の生命と至る道筋が描かれていたのだ。
カドゥケウスの杖は中央の柱に
2匹の蛇が螺旋状に絡まりつつ、上へと登っていく形をしている。
それは永遠の命へと繋がる道であり、
錬金術師パラケルススが持っていたとされる
賢者の石が収められ、人々を癒したとされる
“アゾットの剣”の正体でもある。
中央の柱の周囲に2つの柱と
それに沿って螺旋状に上へと延びて行くパスが描かれ、
全体に蛇が絡みついている。
カドゥケウスの杖と構造的に同じであり、
どちらも同じものを表したものだ。
ピラミッドの中枢”重力拡散の間”に置かれているオブジェも
同様に”生命の樹”を現したもので、
ユダヤの生命の樹が最高位の「太陽の栄光」から
「月の栄光」「星の栄光」、最下部の「滅びの世界」まで
霊的な4階層に分かれているように、
天界から地上界に至る霊的階層をしている。
またカバラではこの世界は仮想世界であり、
エン・ソフと呼ばれる根源存在が、
目に見えない高位次元から、
「流出」「創造」「形成」「活動」の4段階を経て形成されたものだとしてる。
ピラミッドの内部構造はこの宇宙のなりたちを表したものである。
ピラミッドの中枢叡智は限られた神官たちによって保持されていたが
それが他国に流出して広まったのが「生命の樹」であり、
そこから派生したものが中世のタロットであり、
こんにちのトランプでもあるのだ。
中でも最も有名なのがスフィンクスである。
中東ではないが、ギリシア神話にも女のスフィンクスが登場する。
オイディプスがギリシアのテーベにやってきた際に
スフィンクスが謎かけを行ったというものだ。
精神分析行のイヌマエル・ヴェリコフスキーの研究によると
この話のルーツは第18王朝のエジプトにあり、
舞台はギリシアのテーベではなくエジプトのテーベで、
オイディプスの正体はイクナートン王だという。
なお、エジプトにおける、魔法文字を生み出した知恵の神トートは
ギリシア神話ではヘルメス、北欧神話ではオーディンという名で呼ばれるが、
最もメジャーな姿として、トキの頭を持った姿で描かれる。
中にはヒヒの頭で描かれたものもある。
更には翼を持ったアンドロスフィクスとしてで描かれる場合もある。
スフィンクスのモデルはトート神なのだ。
言うまでもなく三大ピラミッドの正面に立つ大スフィンクスである。
そのスフィンクスは第二ピラミッド正面の中心からまっすぐ南に
参道の線を引き、その入口部分の左側に立っている。
この大スフィンクスはかつて参道を挟んだ反対側に
もう1体存在した事が知らりれいる。
その証拠として大スフィンクスの前肢の間にトトメス4世が彫らせた
花崗岩の石碑があり、2体のスフィンクスが彫られている。
このスフィンクスは現在のスフィンクスとは大きく形が異なり、
翼を生やした獅子か座った姿をしている。
大スフィンクスは大ピラミッドと合わせた
トータル・デザインの中に組み込まれているが
そもそもいつ作られたのかわかっていない。
カフラー王が建造したものだという事になっている。
それはスフィンクスの前脚の間にある石碑に
「カフ」の字が刻まれているからである。
だが、この説には大きな疑問がつきまとう。
石碑に刻まれているのはあくまでも「カフ」であり、
「カフラー」ではない。
そして王の名は楕円形のカルトゥルシュに囲まれているのが
通例なのだが、「カフ」の字の周囲には
カルトゥルシュが存在しないためだ。
では、大スフィンクスはいったい誰が築いたものであるというのか。
スフィンクスが昔から存在していたと刻まれている。
ここからもスフィンクスはカフラー王と無関係なのは明らかだ。
では、いったいいつからスフィンクスは存在したのか。
それを示すヒントとなるのがスフィクスの表面に走る”横縞”だ。
これは水に浸された結果形成される侵食痕である。
これが示すのは、スフィンクスはかつて
その全面を浸すほどの洪水にさらされていたという事だ。
ところが、現在のエジプトでは
これほどの痕跡を残すほどの降雨量も洪水もないのだ。
では、いったいどのようにして形成されたものなのか。
スフィンクスの浸食痕は湿潤だった太古の時代の降雨によるものだという説がある。
アメリカのロバート・ショックやアンソニー・ウエストは
サハラが湿潤で緑に覆われていた1万年前からスフィンクスが存在し、
数百年から数千年間の間雨に晒された結果、
この浸食痕ができたとしている。
だが元々水にモロい、スフィンクスの材質である石灰岩が
そのような時代に何千年と雨に晒されていては、
現在まで原型をとどめる筈もないのだ。
スフィンクスがピラミッドより先にあったっていうのは聞いたよ
年代測定も出来てないのか?エジプトに任せてたら一生ロマンのままだね
その証拠として、前部の侵食具合と後部の侵食具合がまったく異なっている。
これは前方から急流に晒された事を意味している。
この際にスフィンクスは外部が削り取られ、
ボロボロになって本来の形状を失った。
ピラミッド正面の向かって右側にあったスフィンクスは
この時の洪水で完全に崩壊して失われた。
左側にあったスフィンクスは幸いな事に土砂に埋もれ、
かろうじて完全な崩壊を免れた。
その後スフィンクスは砂の中から発掘された。
スフィンクスの前脚の間にある石碑には、
ある日スフィンクスが夢枕に現れ、砂の中から掘り出してくれと
頼んだという事が書かれている。
スフィンクスはいつから存在したのか。
おそらく三大ピラミッド同様、
エジプト初代王朝以前から存在していたものだと思われる。
それはすなわち、全世界を水没させた
大洪水以前の文明が築いたものだという事だ。
現在は懐中電灯でピラミッド内部を探索できる。
しかし太古は電灯がない。
よって松明をかざして進むほかにない。
しかしピラミッドの天井には、松明を使った際に生じる
煤のあとが見つかっていないのだ。
これは一体なぜなのか。
太古の人々は、ピラミッド内部を進む時、
一帯何を照明にしていたのか。
これは長年の謎となっている。
ところで中国の龍は手に宝玉を持っている。
この玉は崑崙の珠とも、ドラゴンボールとも呼ばれている。
ドラゴンボールはあくまで伝説上のものとされていた。
しかしおそらくは実在の存在なのだ。
大ピラミッドを築いた王はドラゴンボールを使って
ピラミッド内部を照らしていたものと思われる。
興味深い
しかし暗くなってしまうのは上部を塞いでからだから作るときは問題なくできたのではないか?
できてから行くような必要はなかったとすれば照明も必要ない
ノアの方舟は現在のタンカーと全く同じ縦横高さの比率で、
ゴフェルの木を材料とし、アスファルトを塗って作られた巨大建造物だ。
ところが内部に松明を持ちこむと、水上を漂う際の揺れで
下手をすれば木材に引火し、全体が火事になってしまう。
では、いったい何を照明にしていたのか?
それは神から授けられた、ゾハル (ヘブル語で「窓」)と呼ばれる
光り輝く鉱石を持ちこんで、それを照明にしていたと考えられている。
この鉱石は古代エジプトの史書にも登場する。
紀元前18~16世紀頃書かれたエジプトの歴史書「ウェストカー・パピルス」には
公共事業で王妃の墓を作った事で知られるクフ王が、
神官たちの反対を押し切って大ピラミッド内部を探索した。
そしてトート神の隠し部屋を探し当て、
そこから光り輝く「火打ち石の箱」を発見した事が書かれている。
更にプトレマイオス朝パピルスには、
ラムセス2世の二人の息子が、ネクロポリスに隠してあった
「火打ち石の箱」を見つけて開いたところ、
中から眩い光が放射されたと書かれてある。
自然発光する未知の鉱石であると考えられる。
それは旧約聖書のゾハルであり、
ゾハルから作られたユダヤの至宝ウリムとトンミムと考えられる。
このゾハルは現在どこにあるのか?
それは全く不明だが、クフ王はピラミッドを汚した事で
人々から恨まれるようになったと記録されている事から、
クフ王は人々の反発を恐れ、
「火打ち石の箱」をピラミッド内部に戻したのではないだろうか。
つまりゾハルは今でもピラミッド内部の
未知の空間に隠されているという事だ。
一対の狛犬が守護している。
狛犬はその形状を見ればわかるように、明らかに獅子であり、
アフリカ大陸の生物である。
犬ではなく、日本には朝鮮半島を経由して伝えられたため、
高麗(こま)犬という名をつけられたにすぎない。
狛犬は口を開けて手に宝珠を持ったもの
(あるいは頭に擬宝珠[キンタマーニ]を乗せたもの)と
口を閉ざして子供を抱いた一角獣とで、陰陽一対をなしている。
これらは一度でも神社に行ったことのある人間なら
誰でも知っている事だろう。
ところで、狛犬が手に持った宝珠は一体何なのだろうか?
狛犬は朝鮮半島にもある。
中国にもある。インドにもある。
イランにもある。
ルーツをさかのぼればどんどん西側に向かう事になる。
ここまで書いてきた以上は既にわかると思うが、
狛犬の大本のルーツは、大ピラミッド正面にあった
一対の大スフィンクスなのだ。
獅子はライオン
つまり猫の系統ですよね?
先人の言葉のせいで犬に持っていかれてるのはよろしくないんじゃないでしょうか!
未知の空間がある事が知られている。
しかし、一切発掘調査が下りない。
それは太古から古代エジプトの秘儀を受け継ぐ
宗教組織によるものだと言われている。
彼らはおそらくピラミッドやスフィンクスの実態を知っている。
しかし太古からの掟によって、決してそれを外部に漏らす事はない。
かつて吉村作治教授は彼らの秘密の儀式を見てしまったため
エジプトから逃げ出すハメになったほどだ。
なぜスフィンクスの手の下にある空間の発掘調査が下りないのか。
それはおそらくそこにも秘法ゾハルが隠されているからだ。
そしてそれこそが狛犬が手に持つ宝珠のルーツであり、
中国で皇帝をさす幻獣・龍が持つ、
ドラゴンボールの正体なのである。
貧しい貴族の父親のもと、12人兄弟の4番目に生まれた
ナポレオン・ポナパルトという男は
その後奇跡的にフランス第一帝政の皇帝まで昇りつめた。
彼の背後にはフリーメーソンがあった。
ナポレオン自身がメーソンだったという証拠はないが、
ナポレオンの兄弟のうち4人はメーソンだった。
ナポレオンはフリーメイソンリーの人脈や情報を利用し、
国家統治を有利に進めたとされる。
なお、ナポレオンはシャツの中に片手を突っ込んで隠した
独特のポーズで肖像画に描かれている。
これはフリーメーソンの仲間うちで使われる符帳であり、
自身がフリーメーソンのメンバーである事を暗に示している。
坂本龍馬の写真が同じポーズをしているのも、
ナポレオンと同じ理由による。
組織の基本理念に反する行為だった。
ナポレオンはそれを見逃してもらうために、
フランスのメーソンの要求を呑んだのではないかと思われる。
フランスメーソンの要求とは何か?
それは錬金術の至宝”賢者の石”を手に入れる事である。
かくてナポレオンは1798年にエジプト遠征に向かう事となる。
表向きはイギリスとインドの間の通商路を断ち切り、
イギリス経済に打撃を与えるためのものだとされる。
ナポレオンがピラミッドの前で兵士たちに
「兵士諸君、このピラミッドの上から、4000年の歴史が君たちを見下ろしている」
と呼びかけて激励したのは有名な話だ。
これは石碑に刻まれた絵から判断できるが、
太古に大洪水で崩壊してしまった。
エジプト新王国時代第18王朝のトトメス4世により、
砂に埋もれていた大スフィンクスは掘り起こされ、大規模な修復が行われた。
この際に崩壊した頭部に人間の顔が刻まれて今の形になったとみられる。
また、この時にに大スフィンクスの両前足の間に
トトメス4世の業績を讃える石碑(夢の碑文)が建立された。
ただ、ナポレオン軍がエジプトに到着した時は、またもや砂に埋もれ、
首から上しか見えなかった。
ナポレオンは残念ながらフランスメーソンの命令にある”賢者の石”を発見できなかった。
“賢者の石”の正体の正体が、すぐ目の前にある
三大ピラミッドそのものだとはまったく気づかなかったのだ。
その腹いせか、ナポレオン軍はスフィンクスの顔を砲撃し、鼻を破壊してしまった。
ただし代わりにフランス軍兵士ピエール=フランソワ・ブシャール大尉によって、
エジプトの港湾都市ロゼッタで、ロゼッタ・ストーンと名付けられる事になる
石碑を発見し、フランスに持ち帰る事となる。
これは紀元前196年にプトレマイオス5世によって
メンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部であり、
同一の文章が3種類の文字で記述されていた。
後にジャン=フランソワ・シャンポリオンがこの石碑を解読した事により
エジプトのヒエログリフが解読できるようになり、
エジプト史を解き明かす大きな助けになったのは言うまでもない。
何者なんだw
その人どれだけピラミッドが好きなんだよw
世界一ピラミッド好きと言っても過言ではないレベルじゃねえか!
www3.nhk.or.jp/news/html/2023…
今回確認されたのは、クフ王の大ピラミッドの本来の入り口上部にある切妻構造のすぐ裏側の空間です。
青丸の中にある赤い部分です。
(スタッフのクヌム) pic.twitter.com/UZMsuyqhE9
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